校章


      

・校章の由来

昭和27年5月10日開講と同時に北海道苫小牧高等学校分校として発足したが全校生のよりどころたる校章は、当時苫小牧高等学校の校章である白三星を使用していた。

分校主任であった加藤常吉先生は独自の物を製作したいと考え、在校生より広く募集したところ、皆無であったので、先生は旧第2高等学校(現仙台 東北大学)の校章である蜂が栄養失調的であると考え、太らせた蜂を図案とした。

この蜂は完全な触覚、複雑は羽根、腹襞は横襞を5本添入し、中央に高の字を書いた物を一応オリーブ色のモスリン小旗74×57に白色ペンキで書き製作し昭和28年7月21日鵡川小学校グラウンドに於ける苫小牧高等学校の管轄分校である白老、勇払、鵡川分校と苫小牧東高等学校(現)定時制生徒の四校対抗競技に使用の後、事務書棚におさめられていた。

 越えて昭和31年早春生徒有志により再び校章の問題が起こり、期間を2ヶ月間と決めて募集したが良い図案がなく前記旗よりヒントを得て小野泰蔵教務主事が簡単な図案に改作し、AB2党利の図案を昭和31年5月9日の職員会議に提出し職員間の意見一致でB案を採用と決定、又襟章については小野先生に無条件に委任された。

数日後校長の懇意にしている札幌市北3場西3丁目ホクト徽章社に持参したところ非常に良い図案であると激称を受け、なんら修正することが無く立派にできると言われた。

なおその際、襟章は先方の図案部の係と話し合い腹部を削って楕円の銀燻として製作を依頼した。

○鵡川の「川」と「蜜蜂」とを組み合わせて図案化した。

○全体から受ける感じは蜂が飛んでいる姿である。即ち中心の高の字を背負って、まさに若人が勤労しながら学び将来に雄飛する姿である。特に高の字を金色として太くしたのは全生徒の団結を意味した。

○頭に鵡川の象徴する片仮名のムを置き、両側の川の字は市鹿沼川と鵡川の中央に学校があり、生徒は両川に外部よりも中心ヘ集ってくることを意味し、且つ全町民の知識センターとしての高校であり、下部の腹部の突き出している三角形は総てをたばね、生徒の飛躍を意味する。(北海道鵡川高等学校20周年記念誌 20年の流れ より)


白雲陵ぐ樽前山を遙か西に望み見、流るる鵡川の大地に雄々しく集える若人が
○学べる蜂
○働き蜂
○平和の蜂
の如く、理想に燃えて羽ばたこうとしている姿をえがいている。


 

校訓

 

校歌

(昭和36年8月13日作曲)
作詞  高  田 公 子   作曲  長谷川 新 一

一、潮とどろく 我が校舎
  はまなす紅く 匂い咲き
  燃やせ炎を 真実の
  究理の泉 掘り進む
  若き血潮は 海原に
  あゝ鵡川高校 学べる蜂よ

二、樽前青し 我が大地
  稲穂は熟るる 空のはて
  流せ我等の この汗を
  幸せの球 磨くごと
  若き腕は 郷土拓く
  あゝ鵡川高校 働き蜂よ

三、流るる鵡川 我が友よ
  星屑仰ぎ 誓いたり
  高く掲げよ ともしびを
  教えの旗に 集いきて
  若き歌声 木霊する
  あゝ鵡川高校 平和の蜂よ